フィンランド、トゥルク・サマー・ドア (Finland, Turku Summer Door)

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清水研介E
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kensu77taide@hotmail.com


以下は、私が作った「フィンランド、トゥルク・サマー・ドア(Finland, Turku Summer Door)」という題名の掌編です。清水研介

製作者 清水 研介
© Copyright 2008 Kensuke Shimizu
All rights reserved.

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フィンランド、トゥルク・サマー・ドア(Finland, Turku Summer Door

清水研介(Kensuke Shimizu


ドアの向こうで、人の行き来の雑音がした。隣人が友人を連れてきたのだろうか。私は、2時間の映画をテレビで観た後、シャワーを浴びた。割と暖かい夜だった。まだ外は明るさがうっすらと残っていた。午前1時40分頃だった。フィンランドの夏の夜を、少し歩いてみようと思った。ドアを開け、階段を駆け下り、さらにドアを開けた。向かいのビルのバルコニーから話し声が聞こえてきた。見上げると、男性がバルコニー内のいすに座り、室内の人物と会話を交わしていた。

カーブの道を歩いていると、時折水溜りがあり、ここのところの不安定な天気を思い出させた。前方から、歩道脇の芝生を歩いている女性、その近くから車道の向こうへと、二人の自転車に乗った若者が曲がっていった。この時期は、時間と外の明るさの関係から、不思議な感覚を覚えさせる。右手に、玄関ドアの上部の明りを均等に隣のブロックへさらに隣のブロックへと点けた、さらに遠方に、うっすらと三日月と新月の間のような月が、薄い雲をベールにして、姿を見せていた。

三本の縦線の窓、カーブした屋根、杉の木、などが薄青い夜空を背景に、微妙なシルエットを現していた。また自転車に乗った数人の人々とすれ違った。その後、自転車に乗った赤い服の若い女性が、時折私を見ながら、ガソリンスタンドを夜の余韻を楽しむように右左へとジグザグに横切っていった。不思議なことに、前方にさらに、数人の歩行者がいて、左の林の向こうへと姿を消していった。何かを確かめるように時計を見ると、午前1時53分だった。カーブがあり、左へ進むと、今度は、タクシーが見え、バッグを抱えた男性が降りていった。

白樺を思い出させる木々、ハリネズミ風の動物、を歩道脇に見ては、最近のことについて思いを馳せていた。小声で、自分に何か言い聞かせた。

私は、今来た道を戻っていた。月は、厚い雲に隠れ、見えなくなっていた。私は、不安にかられて、歩道脇の芝生、砂利、の上へ、歩を進めたが、月は雲の向こうだった。砂利と自分が触れて、ひんやりした空気の中にギザギザした感覚の音を発した。新聞配達用で、両側に袋をつけた、やや重そうに見える自転車に乗った若者が、通り過ぎていった。私は、不安を覚えながら、歩いていくと、その通り過ぎた自転車の音が、徐々に小さくなっていくのが、歩道を伝わって感じられた。

私は、昔のことを思い出し、また、今が昔に変わっていくのを想像して、自分が、今、何かの箱の中を動いていて、ただ箱の中で位置を少し時折変えているだけのような、いろいろやっているような気にもなることもあるが、それでも実際はただ同じようなことを繰り返して、箱の外へ、箱のドアの外へ、とは、出ていないのではないだろうか、というようなことを感じた。自分は、箱の中でまだもがいているのか、あるいは、箱の壁に守られながら、ただそれに安住している怠け者なのだろうか、自分は何なのだろうか、など考えた。

バス停の近くで、大型バスがしばらく停止したかと思うと、再びゆっくりと走り始めた。その後、ランプを控えめに点けたトラックが通り過ぎていった。私は車道を横切り、自分の部屋のある建物へと戻っていった。ズボンの右のポケットの中から鍵を取り出し、表ドアを開け、階段を上がり、さらに自分のフラットへのドアを、再び鍵穴に鍵を差し入れ、ぐるりと回し、開けていった。キッチンのテーブルには、夕食の冷凍食品の包装カバーが、まだ置かれていた。ソファーには、新聞があった。包装カバーが無造作に残されている、そのテーブル上には、窓に近い方に、昨年のクリスマス前に買った蝋燭が二三あった。

私は、まだ考え込んでいた。まだ。私は、よく考え込んでしまう。時折、この習慣が私を苦しめる。冷蔵庫から、炭酸飲料のボトルを取り出し、飲み始めた。いつのまにか、外は、さらに若干暗くなり、夏の非常に短い暗い時間帯を示していた。自分の部屋のドアを開け、明りを点け、先週買ったCDをかけ、コンピュータのスイッチをオンにして、という御決まりのような一連の行動をした。机の前の椅子が、土台の安定感を失い、壊れているのに気づき、棚の前の椅子と、位置を交換した。私自身も、別の私、もしももっとしっかりした自分があるのならば、椅子と同じように、交換すべきなのかもしれない。まだ不安を感じていた。

私は、朝が来るのが怖かった。暗い短い夜、長い昼間。朝が、朝ではないのだった。朝が、既に昼であるかのような感覚すら感じることがあった。その明りが怖かった。夜の思考の時間を明るさが奪っていった。救いは、真夏日を過ぎて、徐々に暗い時間帯が増しているはずだ、と思うことができることだった。実際に、どのくらいその変化が進んでいるのかは、知らないのだが。

翌朝は、想いの外、どんよりとした外の様子が薄いカーテン越しに見えていた。ただ、ここのところは、朝曇っていても、昼頃には、明るくなることがあり、まだ疑心暗鬼で、明るさを怖がっている自分がいた。その日は、どんよりした曇りから、今度は、夕方から雨に変わった。いつもと違うパターンに、心がやや開放された気分だった。外の木々が、時折強風のために、不気味に左右に動き、枝葉から、雨粒を落としていた。鳥は、七月だというのに、二十度に満たない天気で、寒そうに止まったように、体を膨らませていて、冬のような様子で、とてもかわいそうに見えた。数日前の夏の快晴が嘘のように、がらりと外の姿が変わっていた。外が変われば、中も、けだるく内向的な雰囲気になっていて、窓越しへ飛び出して外の空気を吸って気分転換しようという気持ちも薄れていた。買い物も、何か感傷的な雰囲気だった。街の中心は、午後8時頃になれば、いつもより人が既にあまり見られなく、夏の日とは、とても思えなかった。

夜は、不思議と落ち着いて、音楽をかけながら、眠りについた。せわしない夏も急な小休止をしていて、一転時計の針が数ヶ月前へ戻ったような、妙な感覚を覚えた。ただ、ラジオの声は、数日前とあまり変わっていないようだった。

約一週間経った真夜中、キッチンでふと窓を覗くと、そこには、暗い夜の姿があった。春の初めのある夜、ヘルシンキから電車でトゥルクへ帰る時の車内の様子が思い出された。中間地点のカリアーという場所まで、すぐ近くには、やや賑やかな若い女性の六人ぐらいのグループがいて、外国語で話をしていた。どこの国の言葉だったかは、はっきりとは覚えていないが、おそらくロシア語だったように思う。外は、既に暗くなっていた。そこには、歴然とした夜、暗い夜の姿が延々と続き、まるで車内だけが電気の光りで明るかった。車内も、その若い女性のグループと、時折訪れる車掌、一度訪れた飲み物等を売る人、それぐらいしか動きがなく、同じような状況や情景が、暗い夜という背景の中で、続けられていた。カリアーで、その若い女性達も降りてしまい、私は、数分立ち上がり、辺りを見回した。そこには、数日前、出会った知り合いの人が、座ってこちらを向いていて、お互いに軽い挨拶を体のしぐさで示した。そして、今度は、若い女性達がいなくなって、暗い夜を背景とした情景は、さらに静的になっていった。

その時からさらに一月程経った時、今度は、車内に、愉快な男性二人がいた。その男性二人の近くには、二人の女性がいて、男性が何やら女性に話しかけ、女性がそれに答えて、わいわいがやがや漫才のような会話を続けていた。男性と女性は、この車内で初めて会ったばかりのようだったが、暖かい陽気がその日の天気にはあって、少しほろ酔い気分の男性の愉快な話し振りで、その女性以外の客へも、笑いを誘っていた。男性は、あるカバンを持っていて、その中には、いろいろな小さな袋があった。その小さな袋を、周りの人に手品師のように見えるように開けていくと、そのうち一つは、小さなアルコール飲料のボトルかと思えば、別の袋には、子供にあげるかわいい形の御菓子だった。その時も、女性二人は、カリアーで降りていった。その後、男性の方は、眠りに就いていって、その男性の友達の携帯電話にかかった電話の音でも起きずに、終点のトゥルクでは、友達の男性が、おい、起きろ、トゥルクだ、起きろ、と起こすのにたいへんな様子を見せていた。

現在、つまり、夏のある夜に時を戻す。私は、そういった回想、フィンランドの夜の暗い情景が時折もたらす回想、その後で、キッチンから自分の部屋へ行き、寝床に就いた。枕の上の頭は、近くの四角い窓(そういえば、この間、この近くの家々の窓の形が四角だけではなく様々であるのに、静かな驚愕を覚えた)を横目で覗き、とうとう暗い夜、待ちわびていた暗い夜が、ついに再び戻ってきたんだ、という安堵の気持ちを抱いた。

そうだ、ミネソタにいた時の、あの時の夜、あの時私は、小さなスーパーの周辺を歩いていた。スーパーの中で、あの歌がラジオから流れていたな。次の日次の日と、心構えをして、おっかなびっくりだったな。あの時の感覚は、時には、とても必要だな。時には、次の日次の日のことを、おっかなびっくり迎えながら、日々歩いていく、これは大事な感覚じゃないかな。続いて、そのスーパーから近い、あるマンションのことを思い出した。あのマンションのターキッシュブルー(トルコブルー)の色、あの色は、やけに印象的なんだな。とってもはっきりしている色合で、窓の奥では、運動のジムが見えていたな。入口の辺りは、左右からごく小さな傾斜のスロープになっていたな。その近くには、レンタルビデオ屋さんがあったかな。また、とってもスケールのでかい駐車場。そうだ、その駐車場横の階段の辺りの公衆電話から、日本へ電話をかけたな。あの時は、夜だった。暗くて、あの時も、そうだ、あのフィンランドの車内の時のようだった。外は、暗く、その公衆電話のある所だけがまるで明るく、電話近くには、私と、あ、二三人の通行人が現れる時もあったな。本当は、暗い夜に、あそこで電話をかけるのは、危なかったのかな。

急に関を切ったように、昔の事が思い出された。無理もないのかもしれない。何しろ、ここ一月以上、暗い夜があるのかないのかわからないような状態が延々と続いていたのだ。朝が、真昼間のように感じられる日も少なからずあった。朝は、カーテンの奥からの朝日で起こされることも多々あった。こんなことは冬では考えられない。まだ私の部屋は薄いがカーテンがあるのでよい方で、引越ししたばかりで、まだカーテンがない友達や、近くに住んでいた、もうじき本国へ帰るのでカーテンは買わない、その友達、その二人は、よく朝の早い時間に日の光で起こされる、と言っていた。

今日は、どうだろう。本当に安堵だ。夜がある。暗い夜がある。


[「フィンランド、トゥルク・サマー・ドア(Finland, Turku Summer Door)」のウェブサイト・ヴァージョン。2008年1月。製作者は、清水研介。]


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